お釈迦様の話―7

今朝何だか変な夢を見た。だから本当なら僕のもう一つの怪しいブログ?に書くべきかもしれないが、そのブログは僕が毎晩のように見る不可解、不条理な夢を綴ったものであるが、何となく仏教に関係がありそうなので?ここに書く事にする。それは僕が何処かを歩いていて(遊行していて?)旅の途中食事の提供=布施を受けるというものである。大昔の遊行僧は三衣(さんね)を着(昔の映画の「ビルマの竪琴」で中井貴一が着ていた、オレンジ色の簡素な法衣)それもボロボロの糞掃衣(ふんぞうえ)を着、手に鉢を持って門付けをする。そして優しい人達から食べ物の布施を受ける。その代わり坊主は市民に対して法施をする。釈迦のように人を集めて人の生き方を説いたり…。古代インドでは古くから祭祀を司るバラモンと出家僧は別のものであった。

以前にも書いたが、古代インドのバラモンの考え方で?人生を4つに分ける。四住期と言い、学生期・家住期・林住期・遊行期で、人は何れ生産的な期間(働いて子供を生み、子供を育てる)を過ぎると、家を出て林の中で暮らす。釈迦に例えると、釈迦は29歳で出家し、苦行林で6年間激しい修行をし、35歳の頃悟りを開き、それから45年間遊行法施の旅を続けた。出家は全てを捨てて家を出るので、あるものと言えば汚れた三衣と鉢だけである。とにかく凄まじいシンプルライフである。昔日本でも一時夏になると蟹族の大移動が始まったが、彼らは持ち過ぎである。でかいリュックに生活用品を詰め、寝袋か毛布を持ち、泊まる所はユースホステルであった。大昔の出家坊主のねぐらはマンゴー林であった。釈迦も精舎(しょうじゃ)に泊まるよりは林をねぐらとした。各地に作られた精舎はむしろ仏教教団の集会施設であった。

但しインドは3ヶ月の雨季がある。その時は遊行坊主と言えども家に閉じこもり外には出ない。これは雨安居(うあんご)と言う。一つには大雨で道が寸断され歩けないからである。もう一つは雨季は芽生えの季節で、坊主達は新芽や虫達を踏み潰すのを避けた事による。釈迦の不殺生戒は全ての生きとし生けるものを対象とする。だから虫といえど殺してはいけないのである。でもこれらの慣習は暑いインドだから出て来る発想である。寒い日本で林をねぐらとすれば凍え死ぬのがおちだ。でも近頃日本の雨季―梅雨は段々インドの雨季に似てきたようだ。近頃は毎年豪雨に見舞われ、交通網が遮断され、家が流され土砂崩れが起きる…。

話を初めに戻して、僕は旅の途中食事の提供を受けるが、それはどこか公共の施設で、しかもその食事は真っ黒いピカピカ光る小さなプレートに乗っている。現代の食施は合理的で、栄養状態が考えられていて、そのプレートは平らではなく、デコボコしたものであった。主食と汁物の丸い深い穴が二つ開き、副菜の平たい穴が二つあり、さらに小さい穴がひとつ開いている。多分ご飯と味噌汁とたんぱく質の主菜と野菜サラダが乗り、小さな穴には漬物が入る。まるでコンビニ弁当のような配置、レイアウトである。これだと栄養バランスが取れた食事が出来そうだ。近頃の公共施設も充実してきたもんだ。と言っても夢の中だが…。ここは一体何処だろう?でもせめて被災地の人達もこの位の食事はするべきだ。でもこの映像はいい。何がいいのか?例えばこれから旅をし遊行する人達に、地方自治体あるいはボランティア団体の人達が、暖かい食事とねぐらを提供する。遊行する人達は安心して日本中を移動できる。それは今後古代インドのように遊行する人が増えた場合の事であるが…。(そんな事は絶対起こりえない?でも日本にも昔は流民が数多くいた)


この遊行人、層には若者も多く、今回のような被災地でボランティアをしたり、収穫期の農家の年寄り達を手伝ったり、林で座禅瞑想をしたり?社会の一種の友軍層になる。でも自分で一体何を言っているのか分からなくなってきたなァ…。でも菅も近々四国巡礼の旅に出るという。しかし随分生臭い巡礼になりそうだ。今や目が泳ぎ権力亡者になった菅直人…。でもこんな変な食事の夢を見てどうするんだろう?近頃段々僕の頭も遊行するようになってきたのかもしれない。怖い怖い…。(今日はお釈迦様とはあまり関係なかったネ。申しわけありません)