杓子定規

昨日の「坂の上の雲」は“203高地攻略”であった。乃木・伊地知の馬鹿コンビが第3回の総攻撃、いわゆる“白襷隊”を全滅させた後の話である。この後は司馬の小説の記憶を追って書くので、不正確かも知れないがご容赦願いたい。でも司馬の趣旨は伝えられると思う…。

満州軍総参謀長の児玉源太郎は止むに止まれず旅順に駆けつける。そして乃木の指揮権を奪い、無能な伊地知の意見を罵倒し、自ら203高地攻略に乗り出す。彼は作戦会議の中で伊地知を罵倒した。「そんな杓子定規の考え方しか出来ないから、多くの兵を殺すんだ」と。前回もチョット触れたが、第3軍のトップは薩長閥のバランスの上で決められた。決めたのは長州の山縣有朋である。つまり薩長閥政治の棟梁で、明治期の政治の汚点とも言われる男であった。

伊地知は薩摩で、つい最近ドイツ留学から帰還した日本陸軍の期待の星であった。しかし実戦経験はなく、現実に有効な作戦は立てられなかった。それは今でも同じ事。東大出の秀才に現場を預けてみたら、実績どころか現場の崩壊を起こす事がよくある。つまり実践は、実戦の力量は個人の資質によるもので、幾ら勉強が出来ても駄目な奴は駄目である。児玉源太郎はそれをいち早く見抜き、伊地知を“無能な杓子定規”と切り捨てる。

でもこれだけの大きなミスを犯していても、戦後は単に閑職に追いやられただけだ。日本人の悪癖で、何時の時代でも個人の責任は問われない。何時も責任はうやむやになってしまう。だから同じミスを何度も繰返す。だから太平洋戦争では連合軍が個人責任を追及した。でも日本人のこの傾向は今も変わらない。東電もオリンパスも政治家も、誰もまともに責任を取ろうとしない…。

乃木に関しては只単に無能だけではない。彼は戦略家の資質はないし、有効な作戦も立てられない。だから彼は上にいるだけで、後は部下の判断に任せてしまう。だから間違った作戦でも、何度でも同じ事を繰り返す。その結果厖大な日本兵を死に追いやった。でも彼は漢詩は上手いし、何時も背筋を伸ばし姿勢は良く、中々お洒落でもある。だから以前のように田舎の閑職にいれば何の事はなかった。しかし長州閥山縣有朋が彼を引っ張り出した。それが日本の悲劇に繋がった。今回の?ドラマの中で山縣は「乃木め〜ッ!」と言葉を荒立てるが、選んだのは自分であった。

乃木については、司馬の小説で玉木文之進?というとんでもない古武士が出てくる。彼は吉田松陰の師であり、乃木の師でもあった。彼はこの二人に徹底した教育を施した。例えばそれは公私のけじめである。松蔭が田んぼの傍で講義を受けていた時、自分の顔の蚊を追い払ったら文之進に張り倒される。今は講義という公的な場である。それを蚊を追い払うという私的な行為をするとは何事かという叱責である。だから彼ら二人はある意味で強烈な公的人間だっただろう。だから松蔭は自分の生涯を通じて公的であり続けた。日本人としては何とも涙を誘う純粋さ、可憐さである。その純粋さが松下村塾からの革命家を輩出させた。今回の乃木の頑固な姿勢にも、彼の幼時に受けた教育の影響がかいま見られるような気がするが…。

一方児玉源太郎も長州の武士出身で、幼い頃の逸話の持ち主である。昨日もドラマにチョット出て来たが、14歳の頃父が攘夷問題に巻き込まれ?家で斬殺されるが、彼は落ち着いて作法に則りその後始末を粛々と進めたという。これは個人の資質と言おうか?小さい頃から肝が据わっており、沈着冷静であった。その源太郎が昨日のドラマで乃木の参謀達を前に“杓子定規”と罵声を上げる。でもそれは無理のない事だ。この一戦に負ければ日本は奈落の底に沈む。だから先週も書いたが、高橋英樹の顔は引きつっていた。物凄い迫力であった。でも実際もそうだったのだろう。それは自分の命を懸けた指揮権の剥奪だった。日露戦争はそういう危うい状況の中で進められた。これから後も緊張の瞬間が継続する…。


今我々は気楽なものである。現実にはこんなギリギリで悲惨な戦いを、楽しい戦争ドラマとしてノンビリ見学できる。煎餅でも齧りながら。戦闘場面も迫力がある。28サンチ砲?も物凄い。日本兵もロシア兵もボロ布のように殺されていく。でもこれは架空の戦争ではなく、明治時代に現実に起こった戦争だ。この後にはさらに不可解、不条理な日中戦争、太平洋戦争が起こる。人間の、そして国家の欲望の不可解で果てしない事よ…。今も世界中で国や人の鬩(せめ)ぎ合いが続き、無垢の血が流される…。