「ガリア戦記―1」

以前「北人伝説」を書いた時、ゲルマン民族との関係からアルトリウス(アーサー王)に関するメモを書いた。その時ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」にも触れたので、今日は僕なりのガリア戦記についてのメモを書いてみたい。(記憶がやや茫洋としているが…)

世界の軍事大学や士官学校で戦史の講義がされるが、多分ワーテルローサラミス海戦、トラファルガー海戦とともにガリア戦記もテーマとして取り上げられるだろう。しかしガリア戦記は普通の戦史とはかなり違う。戦術よりも周囲の政治状況を踏まえた戦略が中心になっている。そして彼は戦えば必ず勝った(不敗将軍)。それとカエサル自身もアレクサンダーと同じような世界的英雄であり、まず大政治家であり、ローマの執政官として多くの戦場を駆け回った。ガリアへの遠征はむしろカエサルの政治的立場を強化する為に起こされた戦役である。それと膨大な富と名声(事実これでカエサルは巨大な富を得、凱旋将軍になった)も伴った。勿論彼の軍団の兵士達もその分け前に預かった。つまり征服地の黄金・宝石や小麦や女も含む奴隷を大量に獲得した戦争であった。

カエサルの奮闘により紀元前後のローマはその領域を大きく拡大した。つまりヨーロッパ(ガリア)の地を殆ど獲得し、さらにエジプト、ヌミディアを獲得、ローマは世界的国家に飛躍した。ローマはイタリア本土を拠点に、東はギリシア小アジア、西はスペイン、ヨーロッパ全域(ライン河以南)、イギリスの一部、南はエジプト、ヌミディアまでと最大版図を広げ世界帝国になった。しかし彼は王になろうとはしなかった。実態は王であったのに、彼は共和制ローマの気難しさを知っていたので王になろうとはしなかった。しかしそれを危惧する元老院側の手にかかって暗殺された。しかも実行者はポンペイウスとの内戦でカエサルが許した連中、自分の養子もその一味であった。「わが子よお前もか」、これはカエサルの驚きの言葉ではなく、養子ブルートゥスの予想された行動に対する言葉であった。そしてカエサルを継いで初代の皇帝になったのも、カエサルの養子アウグストゥスオクタウィアヌス)である。この選択にもカエサルの目の確かさが分かる。

次回はもう少しカエサルカエサルの属した世界の内側を書いてみよう。