タイガー・マスク現象

これは日本市民の潜在力の問題か?タイガー・マスク現象が止まらない。昨日で既に1000件を超えている。昨年12月25日群馬県でタイガー・マスクによるランドセル・プレゼント事件が?発生した。その後この動きは全国に広がり、今では47都道府県くまなくタイガー・マスクが発生している。タイガー・マスクは一種のシンボルだから名前は何でも良い。「明日のジョー」も出て来たし、昨日は何と115万円の金塊まで現れた。

対象となった児童養護施設は全国に約600ヶ所、現在約3万人が暮す。(この3万人とは日本のキーナンバー?だ。例えば年間の自殺者も3万人、老人の孤独死も3万人だ)入所原因は家庭問題が大部分で(ほとんどが親はいる)、その内親の虐待が原因のものは50%を越す。何とも心寂しくなる現状だ。だからこの施設は現代の縮図の一つだ。そして入所者数はさらに増え続けているという。でもいいさ、例え家庭が崩壊しても、それを国と地域社会が充分に支えられれば。所詮人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいく存在だ…。

しかし国の予算は、例えば一人あたりの生活費は4.5万円位、最低限はやっていけるが市民の平均値よりは1万円位少ない。これが生活の余裕分、例えば知的活動(読書・趣味・塾…)やファッション、スポーツ活動などのコスト不足に繋がる。この不足部分を地域の寄付や支援で補っている。だから施設の経営実体は苦しい。だから今回のような動きは非常に重要な社会的動向になる。これがきっかけでもっと市民の支援の輪が広がれば、その社会的効果は計り知れない。この動きを一時的な流行ではなく、大きな社会的動きに結び付けられれば、日本の社会は少しは進化する。全てを国に頼るのではなく、地域や市民の支援がぜひとも必要だ。

寄付について、例えばアメリカは年間19兆円、イギリスでも1.3兆円。それに比べて日本はまだ5000億円とまだまだ少ない。つまり市民の、地域の支援がもっと必要だ。それと税制の優遇措置も遅れている。本当に豊かな国、社会というのは、多分国の支援だけではなく、地域や市民が一体となって社会を豊かにしていく事だろう。だからこのタイガー・マスク現象は小さいかもしれないが、非常に重要な社会的意味を持っている。今日本は経済的に厳しい状況にあるのだろうが、まだまだ豊かな人、生活余裕層は多い。アメリカでは子供の頃から学生時代に至るまで、どれだけ地域に貢献したか、ボランティア活動をやってきたかが就職活動の時にも重要視される。そういう意味では欧米はまだまだ日本よりは社会的には成熟している…。

しかし僕はタイガー・マスクを読んだ記憶はないが、施設にプレゼントを続けたタイガー・マスクは、最後にはトラックにひかれそうになった子供を救うため、道路に飛び出し死んでしまう。何とも残酷な話のようだ。(とテレビで言っていた)でもこれは考え方次第だ。人の生き方として何が大事なのか?前回の「幸福の王子」の王子とツバメのように、不幸な人達を救うために彼らは自分の命を捨てる。タイガー・マスクも小さな善行を続けつつ、最後も他人の為自分の命を捨てる。だからこれは現実の世界と精神の世界の話だ。現実はともかく、彼らは精神的には聖者に近い。心の中は常に暖かいものが溢れていただろう。だから人間の存在価値、精神の豊かさの上では彼らは恵まれた人達だ。


この小さな善行が今世の中に広がっていく事は、日本と日本人にとっても大切な事に思える。この流れがこれからも続き、やがて大きな奔流になりますように…。