白梅の道

昨日久しぶりに北鎌倉を歩いた。北鎌倉から鎌倉まで2キロ位か?鎌倉街道沿いには白梅が目立った。もう梅の季節なんだ。時々紅梅も見かける。昨日は寒かったせいか人出は少なかった。椿は既に盛りを過ぎ、といっても椿は種類が多いのでこれから咲くものも多いが…。後は水仙が咲き始め、地味な黄色い色の花を咲かせる潅木も目立った。この樹は何というのだろう。(レンギョウの一種だろうか?)

この季節、街道の両側の山は薄茶色に煙っている。落葉樹は葉を落とし、竹林や常緑樹は緑を残す。この渾然とした状態が何ともいえない風情を醸しだす。この頃体力が少し回復したのか、散歩の途中一休みする事が少なくなった。北鎌倉駅を出て建長寺のバス停で2〜3分休むだけで、後は八幡宮までノンストップ。とはいっても大した距離ではない。さすがに八幡宮の境内は今日も観光客で賑わっている。ここの来場者は年齢層が幅広い。若者も多いし、中高生も何故か多い。多分授業の一環として八幡宮詣でをやっているんだろう。入り口から階段の手前まではいつも屋台が並ぶ。土日には焼き鳥の屋台も出ていて缶ビールも売っている。

例の銀杏の樹は2箇所に別れ健気に小枝を一杯広げている。この樹は人気があり、今でもカメラに収める人が多い。800年も前の雪の日、公暁が?実朝を襲うため身を潜めた銀杏の樹。襲った公暁も殺され、源氏嫡流の血筋は絶えてしまう。どうも血生臭い源氏の歴史。昨年の春頼朝の墓所にも行ったが、何故かあまり大きな五輪塔ではなかった。それよりも北条一族の墓のほうがはるかに大きく立派である。源氏の血筋が絶えた後は、北条氏は皇族を名目上の将軍にし、執権政治を行った。彼らは平氏だった。その数百年後?源氏の足利氏が鎌倉幕府を倒す…。

さらに戦国時代織田氏が足利将軍を追放、政権をとりかける。信長は平氏を名乗ったが、彼は田舎の下克上大名だった。その後の秀吉は百姓の出だし、家康は流浪坊主の数代後だった。という意味では日本はエリート主義ではない。明治維新も下級武士や脱藩浪士が中心だった。そういう意味では日本は結果的に見れば、階級社会を壊して発展してきた。鎌倉幕府でさえ既成勢力の破壊、貴族社会との決別からスタートした。だから日本は比較的スムーズに権力委譲が行われた。だから明治維新をそんなに驚く事はない。日本は常に外圧によりその社会の姿を変えてきた。でも鎌倉散歩の話が何で権力委譲の話になるんだ?でも今日も八幡宮は賑わっていた。赤と白の派手な建築とその後ろの鎮守の森に守られて。八幡様、源氏の魂魄達、北条の執権達。皆に祭られて何時までも安らかに…。